太宰治 名言
太宰 治(だざい おさむ) 本名:津島 修治(つしま しゅうじ)1909年~1948年
小説家。
主な作品:「女生徒」「走れメロス」「富嶽百景」「斜陽」「人間失格」
・人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。としたり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうではないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法にこびるわけではないが、少なくとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意思だと思う。
・あすもまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じで寝るのがいいでしょう。
・人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。
・大人とは、裏切られた青年の姿である。
・走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。
・三七七八メールの富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんというか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。
・笑われて、笑われて、つよくなる。
・人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。
・怒る時に怒らなければ、人間のかいがありません。
・学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。
・不仕合わせな人は、他人からかばわれたり、同情されると、嬉しいよりは、一層わが身がつらく不仕合わせに思われてくるものである。
・待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね。
・信じて敗北する事に於いて、悔いはない。むしろ永遠の勝利だ。それゆえ人に笑われても恥辱とは思わぬ。けれども、ああ、信じて成功したいものだ。
・私は真実のみを、血まなこで、追いかけました。私はいま真実に追いつきました。私は追い越しました。そうして私はまだ走っています。真実は、いま私の背後を走っているようです。笑い話にもなりません。
・薄情なのは、世間の涙もろい人たちの間にかえって多いのであります。
・五月のキュウリの青みには、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさがある。
・何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。
・恋愛。好色の念を文化的に新しく言いつくろいしもの。すなわち、性欲衝動に基づく男女間の激情。具体的には、一個または数個の異性と一体になろうとあがく特殊な性的煩悩。色欲のWarming-upとでも称すべきか。
・「男女同権」とは、男の地位が女の地位まで上がったことなのです。
・人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。
・革命は、人が楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命家を、私は信用しません。
・革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いない。
・幸福は、そのまま素直に受けたほうが、正しい。幸福を、逃げる必要は、ない。
・君に今、一ばん欠けているものは、学問でもなければお金でもない。勇気です。
・生みの母ほど、子の性質を、いいえ、子の弱点を、知っているものはありません。それは、そのまま母の弱点でもあるからです。
・愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない。
・愛することは、命懸けだよ。甘いとは思わない。
・片恋というものこそ常に恋の最高の姿である。
・駄目な男というものは、幸福を受け取るに当たってさえ、下手くそを極めるものである。
・死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
・不良とは、優しさの事ではないかしら。
・家庭の事情を語ってはならぬ。身のくるしさを語ってはならぬ。明日の恐怖を語ってはならぬ。人の思惑を語ってはならぬ。きのうの恥を語ってはならぬ。
・人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。
・幸福の便りというものは、待っている時には決して来ないものだ。
・この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓(つる)に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当たるようです」
・もう一度お逢いして、その時、いやならハッキリ言って下さい。私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行って下さい。私ひとりの力では、とても消す事が出来ないのです。