三島由紀夫 名言
三島 由紀夫(みしま ゆきお)
本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)1925年~1970年
小説家・劇作家。
主な作品:「仮面の告白」「禁色」「潮騒」 「金閣寺」「豊饒の海」など。
・あの時代には、骨の髄まで因習のしみこんだ男にも、お先真暗な開放感がつきまとっていた。
・欺瞞から出発した権力は、細菌のように欺瞞を時々刻々増殖させることによってしか維持できない。こっちが攻撃をかければかけるほど、欺瞞の耐性も繁殖力も強くなってしまうんだ。
・人を必ず傷つける結果になるやさしさの支出には慎重になった。
・傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子(よろいかたびら)を身につけるものだ。そして往々この鎧帷子が、自分の肌を傷つけてしまう。
・若さはいろんなあやまちを犯すものだが、そうして犯すあやまちは人生に対する礼儀のようなものだ。
・ほんとうの文学は、人間というものがいかにおそろしい宿命にみちたものであるかを、何ら歯に衣着せずにズバズバと見せてくれる。しかしそれを遊園地のお化け屋敷の見せもののように、人をおどろかすおそろしいトリックで教えるのではなしに、世にも美しい文章や、心をとろかすような魅惑に満ちた描写を通して、この人生には何もなく人間性の底には救いがたい悪がひそんでいることを教えてくれるのである。
・夏という観念は、2つの相反した観念へ私をみちびく。一つは生であり活力であり、健康であり、一つは頽廃であり腐敗であり、死である。
・文学でも、強い文体は弱い文体よりも美しい。
・軽蔑とは、女の男に対する永遠の批判である。
・若さが幸福を求めるなどというのは、衰退である。
・本当の美とは人を黙らせるものであります。
・「武」とは花と散ることであり、「文」とは不朽の花を育てることだ。
・神聖なものほど猥褻だ。だから恋愛より結婚のほうがずっと猥褻だ。
・女はたえず美しいと言われていることを、決してうるさくは感じないのである。
・まことに人生はままならないもので、生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。
・美というものは本来微妙な均衡の上にしか成立しない。
・鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血の流れたときは、悲劇は終つてしまつたあとなのである。
・罪といふものの謙遜な性質を人は容易に恕(ゆる)すが、秘密といふものの尊大な性質を人は恕さない。
・どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。
・人間の美しさ、肉体的にも精神的にも、およそ美に属するものは、無知と迷蒙からしか生まれないね。知っていてなお美しいなどということは許されない。
・或る人間は、生の絶頂で時を止めるという天賦に恵まれている。俺はこの目でそういう人間を見てきたのだから、信ずるほかない。何という能力、何という詩、何という至福だろう。登りつめた山巓の白雪の輝きが目に触れたとたんに、そこで時を止めてしまうことができるとは!
・権力はどんな腐敗よりも純粋を怖れる性質があった。
・柔軟性というのは妥協だよ。
・幸福がつかの間だという哲学は、不幸な人間も、幸福な人間も、どちらも好い気持ちにさせる力を持っている。
・死は行為だが、これほど一回的な究極的な行為はない。
・何ら発展しないこと、これが重要だ。音楽が真に生の持続に忠実であるならば、(笛がこれほど人間の息に忠実であるように!)決して発展しないということ以上に純粋なことがあるだろうか。