ブレーズ・パスカルが残した名言を紹介

パスカル 名言


ブレーズ・パスカル
ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)
1623年~1662年
フランスの哲学者・数学者・物理学者。大気圧・液体圧に関する業績や円錐曲線論。著書は「パンセ」など。台風のヘクトパスカルという単位は、このパスカルの名前からきている。




・人間は一本の葦(あし)にすぎない。自然のうちでもっともひ弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。



・人間の偉大さは、人間が自分の惨めなことを知っているからだ。樹木は自分の惨めなことを知らない。



・我々のうちで快楽を感じるものは何だろう。それは手だろうか。腕だろうか。肉だろうか。血だろうか。それは何か非物質的なものでなければならないということが分かるだろう。



・クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら大地の全表面は変わっていたであろう。



・素晴らしい英知は、極度の無知と同じく、狂愚として非難される。



・力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制である。



・我意は、すべてのことを心のままに成し得ても決して満足しないであろう。しかし、人は我意を投げ捨てたその瞬間から満足する。それがなくなれば人は不満を持つことはできなくなるからだ。



・あることについて人の判断を求めるときに、その説明の仕方でその人の判断を曇らせないようにするのは、なんと難しいことだろう。



・一生のうちで一番大事なことは、職業の選択である。ところが、偶然がそれを左右するのだ。



・人間は、あらゆる職業に自然に向いている。向かないのは部屋の中にじっとしていることだけだ。



・小さなことに対する人間の感じやすさと、大きなことに対する人間の無感覚とは、奇怪な転倒のしるしである。



・人間は考えるために生まれている。ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。



・人間は、もし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである。



・雄弁は思想を移した絵画である。だから、描き終えたあとでなおも加筆するひとは、肖像画の代わりに装飾画をつくることになる。



・人間はつねに、自分が理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。



・想像は、途方もない見積もりをして、小さな対象を我々の魂を満たすほどまで拡大し、向こう見ずな思い上がりから、大きなものを自分の寸法にまで縮小するのである。



・人間とはいったい何という怪物だろう。何という新奇なもの、何という妖怪、何という混沌、何という矛盾の主体、何という驚異であろう。あらゆるものの審判者であり、愚かなみみず。真理の保管者であり、不確実と誤謬との掃きだめ。宇宙の栄光であり、屑(くず)。



・人は恋愛を語ることによって恋愛するようになる。



・若すぎると正しい判断ができない。年をとりすぎても同様だ。



・徳の高さは、人が何か特別に頑張ったときに判断すべきではない。日頃の行いで判断するべきである。



・世の中には、あらゆるよい格言がある。人はそれらの適用にあたって、しくじるだけである。



・警句をよく吐く人、悪い性格。



・神が存在するということは不可解であり、神が存在しないということも不可解である。



・神を感じるのは心情であって、理性ではない。信仰とは、そのようなものである。



・心情は理性の知らないところの、それ自身の道理をもっている。



・人は毎日食べたり眠ったりすることには退屈しない。何故なら、空腹はまた生まれるし、眠気もそうだからだ。さもなければ退屈するだろう。だから、精神的なものに対する飢えがなければ、人は退屈する。



・好奇心というものは実は虚栄心にすぎない。大抵の場合、何かを知ろうとするのは、ただそれについて他人に語りたいからだ。



・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。自分自身においても、また他人に対しても。



・欠陥に満ちていることは、一つの悪であるが、欠陥に満ちていながら、それを認めようとしないのは、より大きな悪である。



・真理が自分の罪業を証明しないかと、真理を怖れ始めるときほど不幸なことはない。




・時は苦しみを癒す。というのは、ひとが変わるからである。



・反対のあることが嘘のしるしでもなければ、反対のないことが真理のしるしでもない。



・悪はやさしく、しかも無数にある。しかし善はほとんど一つしかない。



・人間は天使でもなければ、獣でもない。だが不幸なことに、人間は天使のように振舞おうと欲しながら、まるで獣のように行動する。



・人間が獣と等しいと信じてもいけないし、天使と等しいと信じてもいけないし、どちらをも知らないでいてもいけない。そうではなく、どちらをも知るべきである。



・国王の権利は民衆の理性と愚昧のうえに基盤をもっている。でも、どちらかと言えば後者である。



・自然は互いに模倣する。よい土地に蒔かれた種は、実を結ぶ。よい精神に蒔かれた原理は、実を結ぶ。



・多くの宗教が互いに相反しているのをみる。だから、一つを除いて、他はみな虚偽である。どの宗教も、それ自身の権威に基づいて信じられることを欲し、不信仰者を脅かす。



・最も小さい物を軽蔑し、最も大きい物事を信じない人間から、何がえられようか。



・言語というものは、文字と文字とが置き換えられているのではなく、言葉と言葉とが置き換えられている暗号である。したがって、未知の言語も解読可能である。



・言葉は、違った配列をすると、違った意味を生じ、意味は、違った配列をすると、異なった効果を生じる。



・自然な文体を見ると、人はすっかり驚いて大喜びする。なぜなら、一人の著者を見るのを期待していたところを、一人の人間を見出すからである。



・人から良く言われたいと思ったら、自己の良いところをあまり並べ立てないことである。



・いかなる身分でも、気晴らしができる限り幸福である。 ・・・・それは自己自身を考えることから心をそらしてくれるところの幸福である。



・人は、ひとりぼっちで死ぬであろう。だから、ひとりぼっちであるかの如く行為すべきである。



・人間にとって、苦痛に負けることは恥ずかしくないが、快楽に負けることは恥ずかしい。



・弱者とは、真理を認めはするが、自分の利害がそれに合致する限りおいてのみ、それを支持する人々のことである。そうでないときには彼らは真理を放棄する。



・隠れた高潔な行いは、最も尊敬されるべき行為である。



・悲しみは知識である。多く知る者は怖ろしき真実を深く嘆かざるを得ない。知識の木は生命の木ではないから。



・直感によって判断する習慣のついている人々は、推理に関する事柄については何も分からない。なぜなら彼らはまず一目で見抜こうとし、原理を求める習慣がついていないからである。これとは逆に、原理によって推理する習慣のついている人々は、直感に関する事柄については何も分からない。彼らはそこに原理を求めようとするが、一目で見ることなどできないからである。



・人間は、生来、信じやすくて、疑い深く、臆病で、向こう見ずである。




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