三島由紀夫が残した名言を紹介

三島由紀夫 名言~その4


三島 由紀夫(Yukio Mishima) 
三島 由紀夫(みしま ゆきお)
本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)1925年~1970年
小説家・劇作家。
主な作品:「仮面の告白」「禁色」「潮騒」 「金閣寺」「豊饒の海」など。




・不可視のものを「見る」とはどういうことか? それこそ目の最終的な願望、見ることによるあらゆる否定の果ての目の自己否定なのだった。



・平和を守るにはつねに暴力の用意が必要であり、守る対象と守る行為との間には、永遠のパラドックスが存在するのである。



・生きながら魂の死を、その死の経過を、存分に味わうことが作家の宿命であるとすれば、これほど呪われた人生もあるまい。



・行動家の世界は、いつも最後の一点を附加することで完成される環を、しじゅう眼前に描いているようなものである。



・文学とは、青年らしくない卑怯な仕業だ、という意識が、いつも私の心の片隅にあった。本当の青年だったら、矛盾と不正に誠実に激昂して、殺されるか、自殺するか、すべきなのだ。



・憐憫の縄目をうけることは天才のもっとも恥とするところだ。



・天才はどんなに若く死んでも薄命であってはならない。



・美しいものを創造する人間は自分が美を持たぬからだ。



・危険なのは「幸福」の思考ではあるまいか。この世に戦争をもたらし、悪しき希望を、偽物の明日を、夜鳴き鶏を、残虐きまわる侵略をもたらすものこそ「幸福」の思考なのである。



・倒錯とは、精神に手袋を投げる欲求だと愚考いたします。




・太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。



・二種類の自殺がある。弱さと敗北の自殺が一つ。強さと勇気の自殺が一つ。私は前者を軽蔑し、後者を賛美する。



・作家は作品を書く前に、主題をはっきりとは知っていない。「今度の作品の主題はなんですか」と作家に訊くのは、検事に向かって「今度の犯罪の証拠はなんですか」と訊くようなものである。



・裏切られるということは、何かを改革しようとすることの、ほとんど楯の両面である。なぜならその革命の理想像を現実が絶えず裏切っていく過程に於いて、人間の裏切りは、そのような現実の裏切りの一つの態様にすぎないからである。



・日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった。それよりも数ヵ月後、妹が急死した事件のほうが、よほど痛恨事である。



・妹の死後、私はたびたび妹の夢を見た。時がたつにつれて死者の記憶は薄れてゆくものであるのに、夢はひとつの習慣になって、今日まで規則正しくつづいている。



・世界が意味あるものに変われば、死んでも悔いないという気持と、世界が無意味だから、死んでもかまわないという気持とは、どこで折れ合うのだろうか。



・行動が純粋性に近づけば近づくほど、行動自体に裏切られて、何らかの目的(それが自己破壊の目的であろうと自己救済の目的であろうと)によって曇らされ、汚されてしまう。



・日本とは何だ。いったい日本というのは経済繁栄だけの国なのか? 日本という国はトランジスタの商人なのか? 日本という国はもっと他の何者でもありうるんじゃないか。日本は何なんだということを絶えず考えて動いている。私は私個人が俺が何なんだという関心を失いたくない。




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