ショーペンハウエル 名言
アルトゥル・ショーペンハウエル(Arthur Schopenhauer)ショーペンハウアー・ショウペンハウエルとも。1788年~1860年。ドイツの哲学。厭世観を思想の基調し、非理性的な「意志」を正面に打ちだした哲学を展開した。著書:「充足理由律の四つの根拠について」「意志と表象としての世界」など。
・人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいた時にはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない。
・真理はそのままでもっとも美しく、簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。
・無知は富と結びついて初めて人間の品位を落とす。
・結婚とは、男の権利を半分にして義務を二倍にすることである。
・平凡な才能をもった人々においては、謙遜は美徳である。しかし偉大な才能をもった人間においては偽善である。
・学者とは書物を読破した人、思想家、天才とは人類の蒙をひらき、その前進を促す者で、世界という書物を直接読破した人のことである。
・自分でおこなった貴重な省察(せいさつ)は、できるだけ早く書きとめておくべきである。
・読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
・紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
・推理する能力を持っている人はたくさんいるが、判断する能力を持っている人は少ししかいない。
・もっとも美しい思想でも、書きとどめておかなければ完全に忘れさられて再現不能となるおそれがあり、最愛の恋人も結婚によってつなぎとめなければ、我々を避けてゆくえも知らず遠ざかる危険がある。
・読書で生涯をすごし、さまざまな本から知恵をくみとった人は、旅行案内書をいく冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである。
・文体は精神のもつ顔つきである。それは肉体に備わる顔つき以上に、間違いようのない確かなものである。
・世間普通の人たちは難しい問題の解決にあたって、熱意と性急のあまり権威ある言葉を引用したがる。彼らは自分の理解力や洞察力の代わりに他人のものを動員できる場合には心の底から喜びを感ずる。
・宗教とは蛍のようなものだ。光るためには暗闇を必要とする。
・「知は力なり」とんでもない。きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力を持っていない人もあるし、逆に、なけなしの知識しかなくても、最高の威力を揮う人もある。
・富は海水に似ている。飲めば飲むほど喉が渇く。名声についても同じことが当てはまる。
・人びとは閑暇を犠牲にして富裕をうる。だが、富裕をはじめて望ましいものにする唯一のものである自由な閑暇が、富裕のために犠牲にせねばならないならば、私にとって富裕が何になろう。
・熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のもとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。
・書物を買い求めるのは結構なことであろう。ただし、ついでにそれを読む時間も、買い求めることができればである。
・未だかつて、現在のなかで、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいなかった、──もしそんなのがいたとしたら、多分酔っぱらってでもいたのだろう。